121019 知床開拓 知床は国立公園に指定

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



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昭和39年、知床は国立公園に指定される。
全国的に「戦後開拓は間違いであった」という風潮に傾きつつあったこの頃、知床の開拓事業を観光事業へと転換させることは、町にとっても一石二鳥のことと思えた。
当時の町長はそれまでの開拓行政を「こういう所に人間を孤立させると言う、そんなバカな話がないでしょう。戦後開拓に五十戸六十戸というふうに入れた所に問題がある」と批判して語っている。

知床が国立公園となった翌年の昭和40年、町は民生安定対策計画を打ち出し、斜里町内に開拓者住宅を建設、開拓者たちに離農補助金を出して離農を促した。

「道からは、土地を放棄するなら転職手当80万円を出す」と言ったが「80万円の”はした金”でこれだけの農地を手放せるかと激怒」し、みんなも土地を手放すことはできないと抗議した。
人々は自分の土地を持つという夢を持ってこの地に来た。そして汗と血と苦労の末にまさにその手にした、人生そのものとさえ言える土地を、そう簡単に手放せるものではなかった。




政府が推し進めたこれらの戦後開拓事業は、既存の農家でさえ見向きもしないような土地に農業の経験など皆無の人々を送り込む無謀なものだったとして、現在でも多くの歴史研究家から批判を受けている。   と書いている。(おわり)



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121017 知床開拓 離農

Category : 知床開拓

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栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。




P6020486
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

離農
機械を使った早急とも言える力づくの開墾は、「とても良い土だから、知床はあれほどの原生林が育っているんだよ」と言われたほどの黒土の表土を、岩と根とともにみごとに削り取ってしまい、裸のような土地になってしまった。
さらなる誤算は、すでに開墾され収穫を上げていた土地まですべて、岩を取り除く名目でレーキドーザーを入れてしまったことである。
馬にロープをかけて木の根を掘り起こし、手作業で植えていた頃は十分に育っていた馬鈴薯も大豆も麦も「とたんにめっきり、実らなくなった」。
収穫量を見込むためにはどれだけの肥料が必要であるか、国が「試験畑」を作って検査したところ、とてつもない量の化学肥料を投入しなければ作物が採れないことがわかったので、町長が、もう開拓はやめましょうと言った。

政府は昭和36年に「過剰入植者離農助成制度」を施行、昭和39年には「開拓者離農助成対策要綱」を実施し、全国的な政策として開拓者を離農させる方向に乗り出した。
すでに日本の食糧難の時代は終わっていた。神武、岩戸、いざなぎと続く空前の好景気の中で、溢れた人材も都市部でいくらでも働き口があった。もう、食糧供給や溢れた人々の行き場を求めて無理矢理に日本全国の僻地に開拓者を送り込む必要はなくなっていた。

昭和36年頃から今まで開拓者しかおらず道もなかった僻地の知床に、観光化の話が持ち上がった。
昭和36年、国の自然公園審議会が知床の国立公園指定を答申。
翌37年にはウトロから開拓地を通って知床五湖へ至る知床林道が、さらに翌38年には知床峠から羅臼町へと抜ける知床横断道路が相次いで着工した。
それまで開拓者の人々がどれほど頼んでも作られなかった道路は、知床の観光開発で初めて作られることになった。



121014 知床開拓 成功検査

Category : 知床開拓

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栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。




P5290443
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

成功検査
知床開拓は「国の事業」だった。
開拓者は好きな所に勝手に入って好きなだけ伐り拓いて自分のものにして良いというわけではなかった。
国があらかじめ土地を区割りし、入植者に5ヘクタールずつ割り当てたのだった。
5ヘクタールというのは、一戸が所有できる農地としては、本州ではとても考えられない広さである。
しかしながらその5ヘクタールは、本当に農地として開墾されたかどうか、さらに期待する収穫をあげているかどうか、国が引き続き管理していた。
昭和27年に施行された農地法の第71条に「都道府県知事は、農地とすべき土地の開墾を完了すべき次期到来後、遅滞なく、その状況を検査しなければならない」とあり、「開拓地がちゃんと農地になっているかどうか」調べる「成功検査」が実施された。
合格すればさらに増反が認められ、新しい土地が割り当てられるのだが、基準に合格する家は8年目で4、5軒しかなかった。
もとが5ヘクタールという大規模な割当である上、農協まで遠距離の僻地において、地域産業として農作物や畜産物だけを生産する専業経営よりも、主な生活費を冬場の造材や出稼ぎで稼ぐ兼業が主流となっていたからである。

検査の実施を2年延期したが、合格する農家はそんなに増えなかった。
国が求めるような農地開発は知床では無理だとする意見と、頑張って国が言う通り開墾しょうという意見に分かれたが、「開拓精神のない奴は出て行け」とケンカになり、国が求める広さに応じようとする意見が優勢になったと言う。

いまだ木々や根が残る荒れ地を畑にすべく、美幌の自衛隊が来て火炎放射器で立ち木を焼き払い、さらに、農地開発後段がレーキドーザーを導入、機械の力で木の根も礫岩も押しのけ、数十メートル間隔の帯状に積み上げていった。
結果、すべての家庭が成功検査に合格した。



121014 知床開拓 国の政策

Category : 知床開拓

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DSC_1568
Nikon D200 AF-S NIKKOR 18-70mm 1:3.5-4.5G ED

国の政策 開拓
昭和20年代後半、まだ日本が高度成長期にも入っていない”暗い”時代に知床に入植した人々は、自分たちの手で森を伐り拓き、学校をつくり、水道を整備し、風車で自家発電し、まぎれもなく自分たちの村を築き上げていった。本来の戦後開拓の目的である「戦後の食糧難と、樺太や満州からの引揚者、戦災で土地を失った人々、農家の次男三男の行き場を確保する」という目的だけを見れば、おそらく達成されていたのではないかと思う。人々は居場所を得、苦しいなりにも”腹一杯”食べる生活を手に入れた。夏は畑仕事、冬は造材や出稼ぎをし、子供たちを学校に送り出し、牛を飼い、でんぷん工場を稼働させ、ジャムやバターやどぶろくを作る生活。交通の便の悪い陸の孤島のような場所でも、人々は確実に自分たちの生活を歩んでいた。何より、10年以上の歳月をかけて自らの血と汗で伐り拓いた土地は、開拓者の人々の夢そのもの、人生そのものであった。
それなのになぜ、人々は昭和41年に村全体で離農することになったのだろうか。




121009 知床開拓 冬山造材

Category : 知床開拓

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栂嶺レイ著
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写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



P5250405

OLYMPUS OM-D E-M5
LUMIX G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6 ASPH/MEGA O.I.S.


冬山造材
交通の便が悪いため農作物の出荷に莫大な運搬費用がかさみ、多くの利潤が望めなかった開拓地にあって、冬山造材は現金収入が得られる主要な働き口であった。

木が収入になることを知った開拓者の人々は、農業が難しいと思われる土地には再び木を植えていった。

昭和41年に離農することが決まった時でも、人々は決して土地を手放さず”自分の土地”に植林していった。



120930 知床開拓 養殖

Category : 知床開拓

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知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

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写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



P5090192
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

養殖
昭和28年、知床五湖に錦鯉と鮒を放流、昭和29年、二湖にニジマスを放流。
昭和40年ころまでには鮒やニジマスは引き網で獲れるほどになった。




120922 知床開拓 娯楽

Category : 知床開拓

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知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



P5070151
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

娯楽
グラウンドでの村をあげての大運動会、学芸会、開拓地まで来た芝居、羅臼岳を越えて羅臼の映画館へ映画を見に行くこと。
7月には馬頭観音のお祭り、9月には岩尾別神社の、10月には山ノ神のお祭りがあった。
各家庭で花壇を設け花々を愛でた。小鳥やウサギなどのペットを飼った。ウサギは狩猟対象ではなかった。ウサギを食べたことはない。
岩尾別温泉は、湯治の場とするとともに、遠足や家族で楽しみに出かける場所として頻繁に利用した。



120917 知床開拓 学校

Category : 知床開拓

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P1091490
OLYMPUS E-620 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

学校
昭和14年暮れ、「遠音別小学校岩尾別分教場」学舎が完成、昭和20年に岩尾別国民学校として独立、昭和26年に併設されたウトロ中学校も昭和29年に独立し、「岩尾別小中学校」が発足した。
校舎も、グラウンドも、校内の備品も、すべて大人たちの手作りだった。
校舎のための木材は網走から船で運び、岩尾別川の河口から陸揚げし、総出で77坪の校舎を組み上げた。
グラウンドも開墾と同様で、地中から顔を出した岩は濡れムシロを被せ、発破で岩を砕いた。黒板も塗装して作った。
皮の傍らに井戸を掘り、たびたび校舎を新築して広げ、教員宿舎や僻地集会所を建築、ブランコ、鉄棒、シーソーも作り、自らの手で少しずつ小中学校を近代化させて行った。
教科書は先輩から引き継がれるので足りていたが、野球ぼーるやバットなどの運動用具はまったく足りなかった。
昭和30年代後半には毎年60名以上の在校児童を抱えるほどになり、離農決定により昭和42年3月31日閉校まで200名を越す子供たちが巣立った。



120916 知床開拓 神社

Category : 知床開拓

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知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

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写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。


PA171184
OLYMPUS E-620 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

神社
幌別と岩尾別に神社がある。
神社は、開拓者集団の守り神として、冠婚葬祭など折々の行事を行うコミュニティーの中心をなす場所として存在した。山ノ神、安産ノ神としても祀られ、境内には馬頭観音も祀られていた。




120914 知床開拓 開拓

Category : 知床開拓

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知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



P8260685
OLYMPUS E-620 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

開拓
水がなかった。
幌別地区では、100メートル下の幌別川まで水汲みに毎朝通った。
岩尾別地区では、知床五湖の一湖から滲み出した水を利用し簡易水道の仕組みが戦前の開拓者が作っていたのを、離れた家では3キロ近く歩いて水汲みに通った。
後に、岩尾別川の支流の盤ノ沢で良い水源を発見し、「五湖水道」を岩尾別地区に張り巡らせた。
幌別では、赤イ川の支流相ノ沢で酸性ではない透明な水源を発見し「幌別水道」となる。

電気がない。
開拓地は、山から海へまっすぐ吹き抜ける強風が直撃する土地であった。
人々はこの強風を逆手にとって各家庭に1基ずつやぐらを3階ほどの高さに組み発電機を据え付け風力発電を行った。
風力発電だけではテレビをつけるほどの電力は得られなかった。
さらに電気が必要になると、交流発電機を導入して発電した。
力道山の試合があると、発電機の燃料を持参してテレビのある家に集まって観戦したという。



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