220922 台湾、国連参加求め活動 中国は警戒 抑え込みへ

Category : 台湾
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'22/09/22付朝刊記事から

台湾、国連参加求め活動 中国は警戒 抑え込みへ

 【台北=鈴木隆弘、北京=比嘉清太】台湾が開会中の国連総会に合わせ、国連機関の活動への参加を求める運動を活発化させている。
中国はこうした動きを警戒し、抑え込みを図る。

 国連本部がある米ニューヨークのタイムズスクエアでは13日、台湾伝統のランタンを空に飛ばす動画が電光掲示板に流れ、「台湾のために声をあげよう」と文字が浮かんだ。
17日にはデモ行進も行われた。

 台湾は例年、総会に合わせ、座談会や音楽会などの活動を現地で展開している。
今年は、中国が台湾周辺で行った軍事演習に対する懸念の声を後押しに、台湾外交部(外務省)はさらに多くの活動を計画する。

 台湾が国連に参加できないハードルは1971年の国連総会で可決された「アルバニア決議」だ。
この決議で、国連の代表権は「中華民国」(台湾の「国号」)から「中華人民共和国」(中国)に移った。



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 台湾は、支持が得やすい世界保健機関(WHO)総会へのオブザーバー参加などを求めている。
決議では「代表権」に触れただけで、国連での台湾の地位に言及しておらず、参加は可能だと主張する。
呉釗燮外交部長(外相)は、「国際的課題の解決のために世界中の協力が必要だ。台湾は貢献していく準備もできている」と訴える。

 中国は、台湾の参加は「一つの中国の原則にのっとって取り扱われるべきだ」(外務省報道官)とし、特に原則を受け入れない台湾の与党・民進党政権下での参加は断固阻止する構えだ。
中国は新興・途上国に強い影響力を持ち、米欧以外に台湾への支持は広がりにくい実情もある。
共産党中央対外連絡部の劉建超部長は8月末、「西側の政治屋が台湾の国連システムへの参加を騒ぎ立てている」と強調した。






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220727 台湾が軍事演習 中国軍を意識

Category : 台湾
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'22/07/27の朝刊記事から

台湾が軍事演習 中国軍を意識

 【蘇澳(台湾北東部)=鈴木隆弘】台湾軍は26日、中国軍の侵攻を想定した恒例の軍事演習「漢光」を台湾北東部・宜蘭県蘇澳沖で行い、内外メディアに公開した。
中国軍が台湾東方の太平洋で活動を活発化させる中、台湾軍が連携して対応できる能力を強調した。

 蘇澳沖には駆逐艦や潜水館など約20隻が集結し、対空、対潜ミサイルなどの発射訓練を行った。
上空には空軍の戦闘機15機が飛行し、照明弾を放つなどして連携を確認した。
有事では非軍事部門の動員も見込まれるため、海巡署(海上保安庁)の船艇も加わり、実弾発射を訓練していた。




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 台湾軍は、中国軍が艦船を太平洋に進出させ、空母の訓練が繰り返されていることを警戒する。
蘇澳沖の太平洋での演習を公開したのも、対抗する意識があったとみられる。
駆逐艦上で視察した際英文総統は「綿密で行き届いた訓練だ。(台湾を)守る能力と決心を示した」と述べた。

 一方、全地域で空襲に備えた避難訓練も25〜28日に行われている。
空襲警報が鳴ってから30分間、人は屋内に入り、車は路肩に止める。
ロシアのウクライナ侵略を受け、一部の地域では訓練内容が強化され、運転者は車を止めた後に、屋内避難も求められている。




220712 台湾副総統が安倍氏宅弔問

Category : 台湾
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'22/07/12の朝刊記事から

台湾副総統が安倍氏宅弔問

【台北=鈴木隆弘】台湾の与党・民進党関係者らによると、頼清徳副総統が11日、訪日し、死去した安倍晋三・元首相の自宅を弔問した。
外交関係のない台湾高官の訪日は異例だ。

台湾メディアによると、1972年の日台断交以来、現職としては最高位の訪日だ。
台湾は自国の一部だとする中国が、頼氏の訪日に対し反発する可能性がある。

一方、台湾の蔡英文総統は11日、安倍氏弔問のため、日本台湾交流協会台北事務所(日本の大使館に相当)を訪問し、「国際的に尊敬されるリーダーであり、台湾の親友だった」と惜しんだ。
台湾では11日、庁舎や学校で半旗が掲げられた。




200801 李登輝氏死去  台湾民主化 功績大きい

Category : 台湾
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’20/08/01付 北海道新聞朝刊7面社説

<社説>
李登輝氏死去  台湾民主化 功績大きい


「台湾民主化の父」と呼ばれた李登輝元総統が死去した。

台湾出身者として初の総統となり、総統直接選挙を実現させた。
台湾ではその後も国民党と民進党の二大政党間で政権交代を繰り返している。
民主化を推し進めた功績は大きい。

李氏は民主化を通じて人々に「台湾人」意識を根付かせ、統一を求める中国と距離を置くことを追求した。
中国は李氏を非難し続けたが、強硬な姿勢が台湾との溝をかえって深めたのは間違いない。

李氏が総統時代に学者から抜擢して政治家への道を開いた蔡英文・現総統も、中国との統一を拒みながら民主化を進めている。

李氏の路線はしっかり継承されつつある。
現在の台湾の基礎を築いた指導者だったと言える。




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李氏は日本統治下の1923年に台湾で生まれ、京都帝大(現京大)に入った。
「22歳まで日本人だった」と公言する親日家で、2000年の総統退任後もたびたび来日して14年には道内も訪れた。

台湾は戦後、共産党との内戦に敗れて大陸からに逃れてきた「外省人」の国民党が独裁政権となって支配した。

当時の経験が李氏にとって、民主化を目指す原動力になった。

李氏は蒋経国元総統に引き立てられて学者から政界入りし、蒋氏の死去に伴い国民党の副総統から総統に昇格した。

12年間の総統在任中に外省人支配からの脱却に指導力を発揮した。
野党の存在を認める法律を制定し、96年には総統の直接選挙を実現した。
李氏が勝利して自ら初の民選総統となった。




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民意が反映される選挙の実現が台湾の民主主義を発展させたと言える。
対照的なのが香港だ。
97年に中国に返還されたが、民主的な選挙制度は実現されず、その不満が今の混乱につながっている。
中国の習近平指導部は台湾の武力統一をちらつかせる。
蔡氏は米国を後ろ盾にして対峙しており、その対応は理解できよう。

李氏が努めた台湾人意識の醸成は、若い世代を中心に浸透した。
今では「自らは台湾人」とみなす人は6割を超える。
この意識が自立性を強固にしている。

総統退任後、李氏は台湾独立志向の強い民進党と手を握り、晩年は台湾独立に傾斜した。
その主張の根底に、台湾への誇りがあったのは間違いない。

李氏が重要性を訴え続けた自由と民主主義を、次代も引き継いでもらいたい。



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200801 「台湾独立は袋小路」 中国、李登輝元総統死去で牽制

Category : 台湾
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’20/08/01付北海道新聞朝刊6面の記事

「台湾独立は袋小路」
  中国、李登輝元総統死去で牽制


【北京共同】中国外務省の汪文斌副報道局長は31日の記者会見で、台湾の李登輝元総統が死去したことに関し「『台湾独立』は袋小路だ」と強調した。

ポンペオ米国務長官が7月30日、「李氏の大胆な改革が、台湾を民主主義の道しるべに変貌させる不可欠な役割を果たした」と高く評価する声明を発表したことを念頭に、「台湾独立勢力に誤ったシグナルを出すな」とも述べ、牽制した。

汪氏は「中国の国家統一と民族復興は歴史の大勢で、いかなる人も勢力も阻止できない」と主張。

関係各国は「一つの中国」原則を堅持し、台湾関連の問題には慎重に対応するよう要求した。

台湾への支持姿勢を強調することで中国に圧力をかける米国の動向に神経をとがらせている。




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一方、李氏の葬儀に日本からは、森喜朗元首相が参列する案が浮上。

複数の関係者によると、日台間には正式な国交がないため、政府や安倍晋三首相の「特使」ではない形での出席を想定、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長を務める森氏の日程などを踏まえ調整を進めている。




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共産党機関紙、人民日報系の環球時報(電子版)は31日「祖国分裂を推進した。決して許さない」との見出しで社説を掲載した。

台湾の民主化と独立を結び付けて推し進め、米国が中国を抑圧する足掛かりを与えたとして李氏を批判。

「静かな台湾海峡を危険で不安定な状態にかき乱した初めての『選挙で選ばれた総統』になった」と訴え「歴史に悪名をとどめた」と酷評した。




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国営中央テレビ(電子版)は、李氏がかつて沖縄県・尖閣諸島の主権は日本にあると表明したことを取り上げ「売国」と痛烈に非難した。

その上で「継承者は台湾独立の道を猛烈に走っているが(中国と台湾は)必ず統一するという歴史の大勢を無視している」と指摘。

独立志向の民主進歩党(民進党)の蔡英文政権を牽制した。



201217-200801-6面台湾独立は袋小路


200731 「日本の良き理解者」  李登輝元総統死去 道内から悼む声

Category : 台湾
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'20/07/31付北海道新聞朝刊27面の記事

「日本の良き理解者」
 李登輝元総統死去 道内から悼む声


台湾の李登輝元総統が亡くなった30日、親交のあった道内の関係者も追悼した。




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李氏が2014年に道内を初めて訪れた際、札幌で懇談したJA北海道中央会前会長の飛田稔章さん(73)は「北海道からナガイモなどの農産物を輸出している話をすると非常に喜んだ。日本とのつながりに強い思いがあり、親しみを持てる人だった」と惜しんだ。

同じく懇談に参加した自民党の伊東良孝衆院議員(道7区)は札幌農学校出身の新渡戸稲造が著した「武士道」の解説書を李氏が執筆したことを思い返し「日本人以上に日本の心を持つ人で、ご自身も実践されていた。良き理解者を失い、大変残念だ」と語った。

日本と台湾の交流団体「日本李登輝友の会」の菅原洋・北海道道央支部長(64)は「巨星落つという言葉以外出てこないほど喪失感が大きい」としのんだ。

「今後も支部を存続させ、日台友好の活動を続けたい」と話した。(生田憲、 村田亮、金子文太郎)



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200731 李登輝元総統が死去 「台湾人の新国家」目指す

Category : 台湾
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'02/07/31付北海道新聞朝刊8面の記事

李登輝元総統が死去
「台湾人の新国家」目指す


評伝
台湾出身者(本省人)として初の総統となった李登輝氏は、中国や政界の保守派と闘い「台湾人の新国家」を目指した。

「台湾人として生まれ(ながら)台湾のために何もできない悲哀があった」。

1994年、作家の司馬遼太郎氏との対談で語った言葉は李氏の原点を象徴していた。




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日本による50年間の植民地統治後、中国共産党との内戦に敗れた国民党の蒋介石ら大陸出身者(外省人)が支配した台湾。

人口の大半を占める本省人は「外来政権」下で主役になれずにいた。

蒋介石の長男、蒋経国元総統に見いだされ、農業経済学者から政界へ。

88年に総統に就任し、持ち前の緻密で柔軟な発想で政敵を巧みに排除、本省人総統への期待を追い風に民主化を進めた。

96年に初の総統直接選を実現し「民主国家」として世界の脚光を集めた。




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台湾史を重視した教科書導入など改革は教育面に及び、外来政権の統治に終止符を打った。

民意に基づく新しい政治体制を打ち立て、統一を求める中国の圧力を、跳ね返した。

「台湾人意識」は社会の主流に育った。

「岩里政男」という日本名で日本の教育を受け、京都帝大(現京大)在学中に志願兵で軍に入隊。

陸軍少尉として22歳の時に名古屋で終戦を迎え、台湾に戻った。

勤勉や自己犠牲といった「日本精神」を台湾人が「学んだ」と語っていた。

ここ数年は自ら進めた民主化が「限界に達している」として、憲法改正を含む「第二次民主改革」を提言していた。

亡くなる直前まで「台湾の主体性を、もっと強化しなければならない」と訴えていた。(台北共同)




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「最も深い哀悼」蔡英文総統

【台北時事】台湾の李登輝元総統死去を受け、蔡英文総統は30日、「最も深い哀悼の意」を表明した。

「台湾が民主化を果たした過程での貢献は何物にも代え難い。元総統の死去は国家にとって極めて大きな損失だ」と功績をたたえた。

総統府は30日、李氏の葬儀に関する会議を31日に開き、方針を決定すると発表した。



201212-200731-8李登輝元総統死去


200731 李登輝元総統死去 97歳 台湾民主化に尽力

Category : 台湾
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'20/07/31付北海道新聞朝刊1面の記事

李登輝元総統死去
 97歳 台湾民主化に尽力


【北京十亀敬介】台湾の民主化を進めた李登輝元総統が30日、多臓器不全などのため台北市内の病院で死去した。

97歳だった。

今年2月に自宅で体調を崩していた。

終戦後に中国大陸から渡ってきた蒋介石らの独裁が続いた台湾で、戦前から台湾に住む本省人として初めて総統に就任。

1988年に始まる李登輝時代の12年間での急速な民主化は「静かな革命」と呼ばれた。




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23年、日本統治下の台北近郊生まれ。

京都帝国大(現京大)農学部で学び、旧陸軍に入隊し、従軍した。

戦後は台湾大、米コーネル大で農業経済学を専攻し学者生活を送った。

農業専門家としての手腕を買われ、71年に国民党に入党した。

台北市長や副総統を経て、蔣経国総統(当時)が任期途中で死去した88年、憲法の規定により自動的に総統に昇格。

国民党内で指導力を発揮し、野党の存在を認める法律も成立させた。

国家元首に当たる総統を有権者が直接選挙で選ぶ制度も導入。

96年の初の総統選で当選し、民主化の成功を世界に示した。




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「中華民国」が中国全土を統治する前提を転換し、台湾の国際社会での存在感を高めるための積極外交を展開、訪米も実現した。

中国側は台湾独立を目指す動きだとして警戒。

99年に李氏が中台を「特殊な国と国との関係」とする「二国論」を打ち出すと、緊張が高まった。

2000年の総統退任後、01年に独立派の政党「台湾団結連盟」の結成に関わるなど政治活動を続けた。




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温厚なキリスト教徒で親日家としても知られた。

日台関係の発展に尽力し、14年には札幌と千歳を訪問。

北海道と台湾の交流団体関係者らが札幌で開いた懇談会では、新渡戸稲造が著した「武士道」の解説書を執筆したことを紹介した。

戦前の日本目は岩里政男で自らを「22歳まで日本人だった」と述懐していた。



201206-200731李登輝元総統死去



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