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160730 東千歳中学校・東小学校 美術展

Category : 展覧会
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東千歳中学校・東小学校 美術展が千歳市市民ギャラリーで開催されている。
2016/7/26(火)〜8/2(火)10:00〜17:00
7/28,29,8/1は休館 8/2は16:00まで


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すべてを紹介できなかったので、この素晴らしい作品群をぜひギャラリーで楽しんでください。










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160726 外電は神様?

Category : 変見自在
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変見自在 高山正之

外電は神様?


深夜、ドアのノックで起こされた。
船員が救命具を投げ、避難を促した。
甲板に出ると別の船員が最下等船室の支那人は上がってくるなと言った。
二等船室の日本人だと告げ、何が起きたのか聞いたが返事はなかった。
しかし救命ボートに乗客が群がる状況は何が起きたかを雄弁に語っていた。
1912年4月、タイタニック号の沈没に乗り合わせた鉄道院副参事細野正文のメモにあるその瞬間だ。
救命ボートには女子供が優先だと船員が銃を振り回しながら言う。
日本人の恥にならぬよう覚悟を決めた時、降下を始めた10号ボートから「あと2人」の声があった。
周囲に女性はいなかった。
英人が即座に飛び乗った。
誰も続かないのを確認して細野も飛んだ。


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タイタニックに乗り合わせたたった1人の日本人は生還を果たした。
か、もっと不幸が待っていた。
生還したケンブリッジ出の科学教師ローレンス・ビーズリーは「無理やり乗り込んできた嫌な日本人がいた」と語った。
それが外電で伝えられると日本の新聞は細野を罵り、非難の手紙が殺到した。
彼は弁解せず、職を辞してひっそりその後を過ごした。
一方、ビーズリーは事故の2か月後には遭難記を出版し、それはハリウッドで2回も映画化された。
その文中でビーズリーは「右舷13号艇に乗った」とあった。
細野は左舷10号艇に乗っている。
卑劣な英国人が見た「嫌な日本人」は出稼ぎの支那人だと分かり、97年の「タイム」誌か85年ぶりに細野の身の潔白を証明した。


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その間、日本の新聞は何をしていたのか。
同じ日本人の細野を信じようともせず、いい加減な英人の戯言ざれごとを鵜呑みにしてきた。
しかもその無実を明らかにしたのも外国誌とはいったいどういうことなのか。
産経新聞の曽野綾子のコラム「透明な歳月の光」で彼女が南アの白人マンションに入居した黒人一家の話を紹介した。
黒人の家庭は大家族主義だから一家4人用のスペースに30人が住みつく。
それが風呂や洗濯をするといっぺんに水不足になり、白人が逃げ出し、いつの間にか黒人マンションになった。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」と結ぶ。
これを読んだとき大方は川口市の芝園団地を、あるいは堺市南区の団地を思い出したのではないか。


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住みついた支那人が窓から使用済みのオムツを捨てる、火のついた煙草を捨てボヤ騒ぎは起きる。
通路に粗大ゴミを捨て、エレベーターに大便をする。
確かに曽野さんの言う通り、一緒に住めない人種もいるものだなあと思う。
ところが2、3日してロイターが「首相の元アドバイザーがアパルトヘイトを称賛した」と打った。
ロイターと言えば駐日特派員アンドレ・プーレーがシーメンス事件のネタで強請ゆすりにをやった。
それで事件が発覚し、夫人が恥じて首を掻き切る騒ぎもあった。
今も反日で鳴らす通信社なのに朝日新聞がそれに飛びついた。
論調も同じで安倍首相の元側近が人種差別を勧めたと。


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札付きの外電が日本の悪評を流せば、まず日本人のために動くのが日本のメディアの役割なのに。
朝日は2日後にまた同じネタを取り上げ「安倍首相のアドバイザーだったことはない」と否定する曽野談話を付けながら、「首相の元アドバイザーがアパルトヘイトを」と再掲する。
安倍首相はこんな危ない思想の持ち主を側に置いていた。
それを外電が世界に流した。
さあ大変。
「国際社会で理解されぬ」と大久保の韓国人の言葉が続く。
曽野さんの反論には首相がはかった教育問題の会の一員だったから十分としているようだが、「アドバイザー」は例えば大統領の「特別顧問」とか普段は訳している。
揚げ足取りの領域を超えている。
なによりなぜ日本で起きたことまで外電の判断を優先するのか。
細野正文の悲劇をまた繰り返す気か。



’15.3.5 週刊新潮より






150921 松本の街 散歩

Category : 旅行長野
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160719 杉浦信之の愚

Category : 変見自在
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変見自在 高山正之

杉浦信之の愚


今は死語となったユーゴスラビアは「南のスラブ」ほどの意味を持つ。
その言葉が示すようにここはロシア人などと同種のスラブ人の国だった。
それが「二つの文字」を使い「四つの言葉」を語り「六つの共和国」に分かれて辛辣に戦った末についには消滅してしまったのは「三つの宗教」のせいだった。


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三つの宗教とは東方正教会とローマン・カソリックとイスラムのことだ。
本来はこの辺のスラブ系は東方正教会を信じていた。

15世紀、コンスタンチノープルを落としたオスマントルコが本格的にこの辺にやってきた。
ワラキアのドラクールが頑張って彼らを追い返したのもそのころだが、カソリックはイスラム以上に正教会を憎んでいた。


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だからイスラムの欧州侵攻を一時的にでも阻止した偉業は逆にドラキュラ伝説に仕立てられ、貶められた。
トルコ勢はそれでもひたひたと侵攻した。
その版図に入れられた民は正教会を捨てイスラムに改宗する者もいた。

ボスニアのボゴミル派の人々もそうだった。
彼らは改宗した分、異教徒には寛容で、レコンキスタでグラナダを追われたユダヤ人も歓迎され、ここに大きなユダヤ教徒のコミュニティもできた。


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対してセルビアは改宗を拒否して抵抗した。
オスマントルコのメフメト2世はセルビアの復活を恐れ、セルビア人の故郷コソボを取り上げ、イスラム系のアルバニア人を入植させた。
京都から日本人を追い出して在日の街にしてしまうと思えば分かり易いか。


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クロアチアは早くからカソリックに改宗し、オスマントルコが去った後はボスニアを挟んでセルビアに対抗する勢力に成長した。
これがもろにぶつかったのがヒトラーの時代だった。
ナチについたクロアチアはユダヤ人とセルビア人をヤセノヴァツ強制収容所に送り込んで殺した。
その数は100万人に上った。


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戦後、報復に立ち上がろうとしたセルビア人は独裁者チトーに抑え込まれ、逆にアドリア海の監獄島に繋がれて殺された。
彼もコソボに多くのイスラム教徒を移住させ、セルビアを弱体化した。

そのチトーが死に、ソ連が解体するとやっとセルビアの時代が来た。
ミロシェビッチは勝手をしてきたイスラム勢力を追い、クロアチア人への報復を始めた。


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報復は92年から始められ、その場所は両国の間にあるボスニア・ヘルツェゴビナが選ばれた。
世にいうボスニア紛争がこれだ。
捕らえられたクロアチア人は右手の薬指と小指を斬り落とされ、それで敬礼させられた。
3本指を立てて敬礼するセルビア軍の形を取らせて辱めるためだ。


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彼らはクロアチア人の囚人同士、お互いに性器を噛み切らせるゲームを強いた。
勝てば一命は助けられた。
相手民族の「種」を絶つ民族淘汰の形だ。
彼らはクロアチア人がやったように女を拉致して強姦した。
被害女性はクロアチア人だけでなくイスラム教徒も含まれたと国連調査官チェリフ・バショウニが報告している。


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女たちは接収されたホテルなど30カ所の施設に繋がれて凌辱された。
国連はセルビア勢力の横暴を抑える国連保護軍を出したが、カナダ人、フランス人の将兵らがこの施設で性奴隷の饗宴を愉しんだとバショウニ報告にある。
女たちはやがて妊娠する。
中絶が不能になるまで胎児が大きくなったところで出所が許された。
これは民族の純血性を奪うだけでなく、民族的な結束を壊すための措置という。


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朝日新聞は慰安婦の嘘を認めたとき、編集担当の杉浦信之が1面社告でこのボスニア紛争を引用し「慰安婦問題は今日的な戦争の性の問題でもある」とか利いた風な言い逃れをした。
ボスニアでセルビア人がやったこと、内モンゴルで支那人がやったことは単に女性への性暴力ではない。
彼らは相手民族の「種」の淘汰が目的で、だから女を辱め、男の性器も女の性器も破壊する。
女衒ぜげんとか金学順とか、まして居直り植村の出る幕ではない。



’15.2.26 週刊新潮より





150921 松本のそば処「もとき」

Category : 旅行長野
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9月21日のお昼は、松本のそば処「もとき」で信州そばを食べます。

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お店の前に順番を待っているお客さんがいます。

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お店の前の道路にも順番待ちの人が座っています。

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1時間ほど待ちましたか、やっと冷たいそばの席が空きました。

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ざるそばを注文しました。

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後から分かったのですが、ここは、かなりの有名店のようです。
橋本首相との写真もブログに載っていました。
どうりで駐車場には東京、神奈川ナンバーの高級車がとまっていました。





160715 森脇 啓好 写真展の案内

Category : 写真展
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旭川市在住の写真家 森脇啓好氏の写真展が、'16/09/03(土)〜10/16(日)の間、名寄市の北国博物館で開催される。
今回は、クライマーだった自身が当時モノクロで撮影していた彼のホームグラウンドである「北海道の中央高地の山々」の秘蔵写真である。


名寄市北国博物館 ギャラリーホール 9:00〜17:00 月曜休館 入場無料
   名寄市字緑丘222番地 電話 01654- 3- 2575










160712 東のイスラム国

Category : 変見自在
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変見自在 高山正之

東のイスラム国


邦人2人に次ぎヨルダン軍パイロットを焼殺したイスラム国について安倍首相は「非道」と言った。
非道の一つは「捕虜は殺さない」ルールの違反だ。
このルールは南北戦争をきっかけに生まれた。
だいたい米国はそれまでの長いインディアン戦争で捕虜殺戮、非戦闘員殺戮を公然とやってきた。
シャイアン族との戦いでは男たちが仮に出たすきに三度クリーク宿営地を襲い「白旗を掲げる幼女を撃ち殺し、その母親の腹を先、頭皮を剥ぎ、指を切り落として指輪を奪った」(D・スタナード『米国のホロコースト』)。
南北戦争も戦い方は同じ。
両軍とも捕虜を殺し、敵の街では市民も殺し、トータルで62万人もが殺された。
この反省から19世紀末のハーグ国際会議で、陸戦条約が話し合われた。
捕虜は殺すな、非戦闘員も殺すなのルールが出来上がった。


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しかし同じ時期フィリピンの植民地化戦争をやっていた米軍はすぐ抜け道を作った。
「陸戦条約は正規軍のみが対象でゲリラには適用されない」
発案者はあのマッカーサーの親父のアーサー。
彼は抵抗するアギナルド将軍以下のフィリピン軍を一方的に「非正規軍」つまりゲリラと認定し、捕虜を拷問し、処刑もした。
「1週間銃殺」も発明した。
月曜に右肩を撃ち抜き、火曜は左膝、水曜に左肩、木曜に右ひざを撃ち、金曜日にやっと心臓を撃って殺した。
苦痛と死の恐怖を1週間も味わわせた。

支那も米国と同じ傾向を持つ。
日本人はそれを日清戦争開戦直後に知り、山縣有朋が「生擒せいきん(捕虜)になるな」とする訓示を出している。
「生擒に遭わば死に勝る苦痛を受けついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるるは必定なり」
野蛮惨毒とは「耳を削ぎ、鼻を削ぎ、目玉をえぐり出し陰茎を切り落として喉に詰め、やっとなまくら刀で首を引き斬っていく」(秋山好古の副官報告書)。


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ジハーディ・ジョンはいましめられた後藤健二の首を引き上げて頸動脈を断ち切った。
ほぼ即死するのに対して支那人のそれは1時間以上も続く。
ジョンは首を切り落とすと遺体を寝かせ、その胴体に首を据える儀式をする。

支那にも死後処理がある。
捕虜を斬首したあと胸から腹をって心臓を取り出し、あとに石を詰めて死体を冒瀆する。
手足は切断して民家の軒先にぶら下げた。
「日本軍は戦友の傷ましい姿にもじっと感情を抑え、支那人捕虜に報復することもなかった」(ベルギー公使A ダネタン)

イスラム国はヨルダン人パイロットを檻に入れ火を放ち下から焼き殺した。
残忍だが、蒋介石軍はもっと野蛮だった。
日支事変のさなか、日本兵が拉致され、半焼きにされ、まだ軍服がくすぶっている状態で日本側駐屯地近くに放置された。
兵士は苦しみ抜いて死んだ。

イスラム国は戦闘で捕えたイラク軍兵士らをまとめて銃殺し、その映像を送りつけてきてもいる。
捕虜殺害というルール違反では米支に並ぶが、残虐な殺害方法ではまだ支那に劣るところがある。


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首相の言う非道のもう一つはイスラム国の過酷すぎる刑罰だ。
男の宗教心を乱さないよう女は髪と体の線を隠すニカブを着る。
それに背いた30代の女がアレッポ近くの街で「首まで地面に埋められ、石を投げつけられ」(朝日新聞)て殺された。
最も残酷と言われる石打ちの刑だ。

処刑の残酷さでも前述した1週間処刑があるように米支はその上を行く。
とくに支那は残酷の極みを行く凌遅刑りょうちけいがある。
太平天国の乱では首謀者がすべてこの刑に処せられ、生きながら体の肉をそぎ落とされた。
民衆はその肉片を薬として珍重した。

一昔前にあった福岡一家4人殺しで犯人の支那人留学生はこの凌遅刑を家族に行っていた。
日本人の多くはイスラム国の残虐さに驚いたはずだが、実はもっと残忍な国がほんのそばにあることをこの機に思い出すことだ。



’15.2.19 週刊新潮より




160705 第7回Photonet SALT展

Category : 写真展
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'16/07/05〜10 10:00〜17:00
千歳市民ギャラリー 1階


160705 170人の巨大弁護団を引き連れて週刊文春を訴えた元朝日新聞「植村隆」記者は日本の名誉を毀損しなかったか? 3-3

Category : 週刊誌
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”朝日新聞的責任転嫁”

なにより、曲がりなりにも”言論人”だったならば、法廷の場ではなく、言論の場で白黒付けるべきではないのか。
西岡教授が続ける。
「植村さんが働く大学への脅迫やネット上での個人攻撃には、目に余るものがある。でも、私が言論テロを行ったわけではないし、根拠があって、植村さんの記事を批判しているのです。もし、私の論文やコメントによって、脅迫などが誘発されたというのなら、それを証明すべきです。それができなければ、私への名誉毀損ではないでしょうか。言論には言論で対抗して欲しかった。なぜなら、記事が”捏造”でないことが証明されれば、脅迫など起きなくなるはずだからです」


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一方、植村元記者にも取材するものの、
「取材は弁護団を通すことになっているので、弁護団に言ってください」
と、当事者本人から話を聞くことを第一とする記者が本業だった過去は忘れたかのように答えるのみ。
もはや念頭には、慰安婦問題の史実を見つめ直すことよりも、何が何でも裁判闘争に勝つことしかないのかもしれない。


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哲学者の適菜収氏によれば、
「そもそも、植村さんが今やるべきことは、大弁護団を引き連れて裁判を起こすことではありません。自分が書いた記事について世間での受け取られ方に不満があるならば言葉で説明し、もし、そこで間違いが見つかったならば謝罪することなのです。ところが、問題をすり替え、自分に対する人権侵害だと騒ぎ立てたうえ、批判した相手を訴えるのは独善的な発想という以外にない。いかにも朝日新聞的な責任転嫁で、過ちを直視しないメンタリティの持ち主だと言わざるを得ません」


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むろん、言論の自由は尊重されなければならないが、偽りを報じても構わない言論の自由は認められていないはずだ。
京都大学の中西輝政名誉教授もこう指摘する。
「第三者委員会の報告書を受け、朝日新聞は社として植村さんの記事について誤りを認め、謝罪もしている。なのに、植村さん自身は、その記事を批判した正当な言論活動を”お白州”の場に引っ張りだそうとしているわけです。それは、筋違いも甚だしいだけでなく、植村さんの記事を言論で批判してはいけないという空気まで生み出してしまう。言論界を萎縮させるような行動は、言論人なら取るべきではありません」


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我が国の名誉と尊厳を地の底にまでおとしめておきながら、百七十人の弁護士と一緒になって自らの名誉は後生大事に守りたいのである。


'15.1.22号の週刊新潮から







160704 170人の巨大弁護団を引き連れて週刊文春を訴えた元朝日新聞「植村隆」記者は日本の名誉を毀損しなかったか? 2-3

Category : 週刊誌
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挺身隊としての経歴

そう言えば、当初、朝日新聞は世間から慰安婦報道が大誤報であると追求されて論理をすり替え、開き直りに終始した。
しかも、本誌や週刊文春の広告掲載を拒否するという挙に及んだ。
支援者に囲まれ、滔々と自らの潔白を口にする植村元記者の姿は、朝日新聞の体質をそっくりそのまま受け継いでいるように見えなくもない。


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あらためて、植村元記者の慰安婦報道を振り返ってみると、”戦後半世紀 思い口開く”と題した元慰安婦の初証言を他社に先駆けて報じたのは、1991年8月11日付朝刊(大阪本社版)だった。
しかし,これまで繰り返し指摘されているように、この記事には見過ごすことのできないゴマカシがあった。
「植村さんは、元慰安婦について、記事では”女子挺身隊”の名で戦場に連行されたとしている。この女性は金学順という実名を明かし、”貧困のため、母にキーセンとして売られ、その後、養父に慰安所に連れて行かれた”と告白しましたが、女子挺身隊としての経歴に言及したことは一度としてありません」」
と語るのは、訴訟の当事者となった西岡教授だ。


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「そのことについて、植村さんは今になって、他のメディアでも慰安婦と挺身隊の混同はあったと言い訳をしています。ですが、私だ問題視しているのは一般論としての混同ではなく、金学順という個人の経歴に勝手に挺身隊を付け足したのではないかということ。加えて、”記事は、だまされて慰安婦にされたとなっていて、強制連行だったとは一言も書いていない”と言い張っている。でも、”挺身隊の名で戦場に連行”という言葉を使ったのであれば、国家総動員法に基づく強制連行を印象付けようとしたと疑われても仕方がないのです」

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昨年の12月22日、朝日新聞が設置した慰安婦報道を検証する『第三者委員会』が発表した報告書でも、〈植村は、記事で取り上げる女性は「だまされた」事例であることをテープ聴取により明確に理解していたにもかかわらず、同記事の前文に、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり」と記載した〉
とされ、
〈これは、事実は本人が女子挺身隊の名で連行されたのではないのに、「女子挺身隊」と「連行」という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与えるもので、安易かつ不用意な記載であり、読者の誤解を招くものである〉
と断じている。


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未だ、全米各地に建てられた屈辱的な慰安婦碑には、日本軍が20万人以上の婦女子を性奴隷にする目的で誘拐したと記され、公然と日本人は辱められ続けている。
我々の父祖が性犯罪者呼ばわりされている責任の一端を、植村元記者は負わなければならないはずなのに、反省する素振りさえも見せていないのだ。


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'15.1.22号の週刊新潮から





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