FC2ブログ

121023 第3回Photonet Solt写真展

Category : 写真展

PA231800.jpg
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

千歳市民ギャラリーの自主文化事業として請われてフォトネットソルトが写真展を開催。第3回目という。

PA231789.jpg
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

会員は、道内各地にとどまらず本州宇都宮、東京都におよび、会員相互がネットで繋がっているのだそうだ。

PA231759.jpg
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ



pa231772.jpg
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ



PA231785.jpg
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ



PA231786.jpg
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

10月28日日曜日まで
開場 10時から 午後6時閉館




スポンサーサイト



121019 知床開拓 知床は国立公園に指定

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



P6040547

昭和39年、知床は国立公園に指定される。
全国的に「戦後開拓は間違いであった」という風潮に傾きつつあったこの頃、知床の開拓事業を観光事業へと転換させることは、町にとっても一石二鳥のことと思えた。
当時の町長はそれまでの開拓行政を「こういう所に人間を孤立させると言う、そんなバカな話がないでしょう。戦後開拓に五十戸六十戸というふうに入れた所に問題がある」と批判して語っている。

知床が国立公園となった翌年の昭和40年、町は民生安定対策計画を打ち出し、斜里町内に開拓者住宅を建設、開拓者たちに離農補助金を出して離農を促した。

「道からは、土地を放棄するなら転職手当80万円を出す」と言ったが「80万円の”はした金”でこれだけの農地を手放せるかと激怒」し、みんなも土地を手放すことはできないと抗議した。
人々は自分の土地を持つという夢を持ってこの地に来た。そして汗と血と苦労の末にまさにその手にした、人生そのものとさえ言える土地を、そう簡単に手放せるものではなかった。




政府が推し進めたこれらの戦後開拓事業は、既存の農家でさえ見向きもしないような土地に農業の経験など皆無の人々を送り込む無謀なものだったとして、現在でも多くの歴史研究家から批判を受けている。   と書いている。(おわり)



121017 知床開拓 離農

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。




P6020486
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

離農
機械を使った早急とも言える力づくの開墾は、「とても良い土だから、知床はあれほどの原生林が育っているんだよ」と言われたほどの黒土の表土を、岩と根とともにみごとに削り取ってしまい、裸のような土地になってしまった。
さらなる誤算は、すでに開墾され収穫を上げていた土地まですべて、岩を取り除く名目でレーキドーザーを入れてしまったことである。
馬にロープをかけて木の根を掘り起こし、手作業で植えていた頃は十分に育っていた馬鈴薯も大豆も麦も「とたんにめっきり、実らなくなった」。
収穫量を見込むためにはどれだけの肥料が必要であるか、国が「試験畑」を作って検査したところ、とてつもない量の化学肥料を投入しなければ作物が採れないことがわかったので、町長が、もう開拓はやめましょうと言った。

政府は昭和36年に「過剰入植者離農助成制度」を施行、昭和39年には「開拓者離農助成対策要綱」を実施し、全国的な政策として開拓者を離農させる方向に乗り出した。
すでに日本の食糧難の時代は終わっていた。神武、岩戸、いざなぎと続く空前の好景気の中で、溢れた人材も都市部でいくらでも働き口があった。もう、食糧供給や溢れた人々の行き場を求めて無理矢理に日本全国の僻地に開拓者を送り込む必要はなくなっていた。

昭和36年頃から今まで開拓者しかおらず道もなかった僻地の知床に、観光化の話が持ち上がった。
昭和36年、国の自然公園審議会が知床の国立公園指定を答申。
翌37年にはウトロから開拓地を通って知床五湖へ至る知床林道が、さらに翌38年には知床峠から羅臼町へと抜ける知床横断道路が相次いで着工した。
それまで開拓者の人々がどれほど頼んでも作られなかった道路は、知床の観光開発で初めて作られることになった。



121014 知床開拓 成功検査

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。




P5290443
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

成功検査
知床開拓は「国の事業」だった。
開拓者は好きな所に勝手に入って好きなだけ伐り拓いて自分のものにして良いというわけではなかった。
国があらかじめ土地を区割りし、入植者に5ヘクタールずつ割り当てたのだった。
5ヘクタールというのは、一戸が所有できる農地としては、本州ではとても考えられない広さである。
しかしながらその5ヘクタールは、本当に農地として開墾されたかどうか、さらに期待する収穫をあげているかどうか、国が引き続き管理していた。
昭和27年に施行された農地法の第71条に「都道府県知事は、農地とすべき土地の開墾を完了すべき次期到来後、遅滞なく、その状況を検査しなければならない」とあり、「開拓地がちゃんと農地になっているかどうか」調べる「成功検査」が実施された。
合格すればさらに増反が認められ、新しい土地が割り当てられるのだが、基準に合格する家は8年目で4、5軒しかなかった。
もとが5ヘクタールという大規模な割当である上、農協まで遠距離の僻地において、地域産業として農作物や畜産物だけを生産する専業経営よりも、主な生活費を冬場の造材や出稼ぎで稼ぐ兼業が主流となっていたからである。

検査の実施を2年延期したが、合格する農家はそんなに増えなかった。
国が求めるような農地開発は知床では無理だとする意見と、頑張って国が言う通り開墾しょうという意見に分かれたが、「開拓精神のない奴は出て行け」とケンカになり、国が求める広さに応じようとする意見が優勢になったと言う。

いまだ木々や根が残る荒れ地を畑にすべく、美幌の自衛隊が来て火炎放射器で立ち木を焼き払い、さらに、農地開発後段がレーキドーザーを導入、機械の力で木の根も礫岩も押しのけ、数十メートル間隔の帯状に積み上げていった。
結果、すべての家庭が成功検査に合格した。



121014 知床開拓 国の政策

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



DSC_1568
Nikon D200 AF-S NIKKOR 18-70mm 1:3.5-4.5G ED

国の政策 開拓
昭和20年代後半、まだ日本が高度成長期にも入っていない”暗い”時代に知床に入植した人々は、自分たちの手で森を伐り拓き、学校をつくり、水道を整備し、風車で自家発電し、まぎれもなく自分たちの村を築き上げていった。本来の戦後開拓の目的である「戦後の食糧難と、樺太や満州からの引揚者、戦災で土地を失った人々、農家の次男三男の行き場を確保する」という目的だけを見れば、おそらく達成されていたのではないかと思う。人々は居場所を得、苦しいなりにも”腹一杯”食べる生活を手に入れた。夏は畑仕事、冬は造材や出稼ぎをし、子供たちを学校に送り出し、牛を飼い、でんぷん工場を稼働させ、ジャムやバターやどぶろくを作る生活。交通の便の悪い陸の孤島のような場所でも、人々は確実に自分たちの生活を歩んでいた。何より、10年以上の歳月をかけて自らの血と汗で伐り拓いた土地は、開拓者の人々の夢そのもの、人生そのものであった。
それなのになぜ、人々は昭和41年に村全体で離農することになったのだろうか。




121013 FUJIFILM XF1発表

Category : カメラ

XF1
japanese.engadget.comより

FUJIFILM XF1が発表された。
X10も興味があったが、ポケットに入れるのにはレンズの鏡胴が出ていて大きすぎるし、FUJIFILMはファインダーに力を入れたと言っていたが、実用にはなりそうもないものだったので値が下がれば2/3型EXR CMOSセンサーを使ってみたいとは思っていた。

このXF1は、沈胴式のレンズでレンズキャップも不要、ファインダーも省かれていて小型のようなので持ち歩きには良さそうだ。
撮像素子はX10と同様のものだが、レンズは35mm換算広角25mmから100mmまでのズームレンズで、F値は広角側はF1.8だが望遠側はF4.9と暗くなりX10のF2.0~F2.8には及ばない。
近距離に強く、望遠も使えます、といったところだろうか。
0.55秒起動と高速撮影をアピールしておりX10より早いらしい。
ズーミングはX10と同様手動で、スナップ撮影に適しているみたいだ。

発売が11月3日とのことで、速く実物を見てみたい。

japanese.engadget.comの記事はこちら



121011 第20回 夢の書展

Category : 展覧会

PA111688
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

第20回隆光書道会 夢の書展 が始まった。

PA111684
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

'12年10月10日〜14日

PA111685
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

千歳市民ギャラリー

PA111686
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

6歳から101歳までの作品が展示されている。




121009 知床開拓 冬山造材

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



P5250405

OLYMPUS OM-D E-M5
LUMIX G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6 ASPH/MEGA O.I.S.


冬山造材
交通の便が悪いため農作物の出荷に莫大な運搬費用がかさみ、多くの利潤が望めなかった開拓地にあって、冬山造材は現金収入が得られる主要な働き口であった。

木が収入になることを知った開拓者の人々は、農業が難しいと思われる土地には再び木を植えていった。

昭和41年に離農することが決まった時でも、人々は決して土地を手放さず”自分の土地”に植林していった。



120928 SONY BRAVIA KDF-42E1000

Category : 家電

BRAVIA
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

外出中、突然妻から電話が入った。
「テレビが突然消えたのですぐ戻ってきてー」

用事を終えて戻ると、テーブルに液晶プロジェクションテレビKDF-42E1000の取説を広げてあった。
困ったときは 修理に出す前に 本機前面の「通信・タイマー・ランプ」ランプが赤く点滅しているときはー
  を読んで、SONYの相談センターへ電話し、光源用ランプが切れているので新しいランプと交換しなければならないことを知り、SONYから送ってもらうと2〜3日かかるので市内の電気店やテレビを買った店に片っ端から電話を掛けまくった後だった。

その結果、地元には光源用ランプXL2400の在庫はどの店舗にもなくSONYから送ってもらうこととなった。

ランプが切れたのはこれで3度目である。1度目は保証期間内、2度目はその2年後、そして今回の3度目であるが、「ランプの交換時期が近づくとテレビの電源を入れた時に、画面にランプ交換を促すメッセージが表示される」と取説に書いてあるが、今まで表示されたことはない。
1度目の時は修理の人が持ってきた。2度目の時は市内の電気屋に売っていた。今回は生産終了後5年経過しているのでぎりぎり部品保有期間内でSONYにしかなかった。
せめて、画面にランプ交換を促すメッセージが表示されると余裕を持ってランプを注文できるのだが、今まで1度も表示されないのはどういうわけか、と尋ねたら、表示機能の故障かもしれないのでテレビを見せてほしいと言う。
今テレビを点検して故障と分かり修理すれば、当初から表示がなくても既に保証期間を過ぎているので有償になるのか、と尋ねると「その通り」との返事。
本日24日注文すると、明日25日発送するとのことで今回はランプを注文するが、次回は他社のテレビにします、とした。
商品発送時に発送メール送信するとのことで26日までメールを待ったが来なかったので、こちらから電話照会すると、商品は25日に発送済です、メールは自動送信となっているが何処かで止まっているかも、とのこと。

ヤマト運輸

26日、私が電話した後にメールが届いた。
伝票番号で問い合わせると商品発送は26日になっているではないか。そば屋の出前を思い出した。


XL-2400
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

配達可能日の9月28日、交換ランプユニットは配達された。テレビを買った当時からはその価格も下がり、2万円弱のランプユニットを2年ごとに5回交換すると、同じ大きさの液晶テレビが買える時代となった。プロジェクションテレビが生産終了となったのも、価格とその性能で競争できなくなったからか。液晶テレビとは違うギラつかない画面は気に入っていたのだが・・・。




カウンター
リンク
最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示