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120930 知床開拓 養殖

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



P5090192
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

養殖
昭和28年、知床五湖に錦鯉と鮒を放流、昭和29年、二湖にニジマスを放流。
昭和40年ころまでには鮒やニジマスは引き網で獲れるほどになった。




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120927 パナソニックレンズ

Category : カメラ

P9081333
OLYMPUS OM-D E-M5 LUMIX G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6 ASPH/MEGA O.I.S.

パナソニックレンズ

フィルム時代は当然ながら、レンズの収差を撮影後に補正することはできなかった。そのため、昔からカメラメーカーは設計時にレンズの収差をできるだけ取り除き、最高の画質を目指してきた。

ところが、デジタル時代になってから本格的にカメラ事業に参入したパナソニックのレンズは、撮像素子の特性や画像処理まで含めて最高の画質を得るように設計されているという点で、従来のカメラメーカー製レンズとは大きく設計思想が異なっている。

デジタル画像は、撮像素子から得た画像データに対して、階調やカラーバランス、ノイズなどを補正して最終的な画像を得ているが、パナソニックの場合、レンズ収差もカメラ側で補正すべき項目のひとつ。

「光学系だけに負荷をかけないで、信号処理も併用してパランスをとったレンズ設計」だとパナソニックの技術者は言う。

例えば、色収差はレンズ設計時にどこまで抑えるかという基準があり、残った色収差はカメラ側で補正される。

歪曲収差についてもカメラ側で補正されるが、すべてを取り除くのではなく,ズームレンズの広角端などは不自然さが感じられないようにあえて歪曲収差を残すようにしているという。

最近では、老舗カメラメーカーのカメラにもレンズ収差補正の機能が盛り込まれるようになってきたが、ボディー側での収差補正を前提としてレンズを設計した方がより効果が上がる可能性があり、実際、この考え方は多くのメーカーに受け入れられつつある。

同社のレンズは、比較的に個体差が少なく、性能が安定しているが、すべての製品をユーザーの使用条件と近いかたちで検査、調整を行い、基準レベルに達した製品のみを出荷しているからだという。ーーーアサヒカメラ2012/9月号パナソニックレンズ大研究より



このことからすると、フォーサーズマウント規格を持つレンズとして存在してはいるが、所期の性能を発揮するには、パナソニックのカメラに装着されなければならない。

オリンパスはフォーサーズマウントの規格を公表して他社の参入を呼びかけたが、オリンパスのレンズもそのような設計をするのであれば、同じマウントにした意味は失われる。

手ぶれ補正装置も、パナソニックはレンズ内、オリンパスはとボディ内と分かれている。

他のカメラメーカーも、そのようなレンズ設計をするようになるとマウントアダプターを使って他社のレンズを使う楽しみは少なくなるのだろう。

結局、カメラとレンズは同じメーカーのものの方が良いということになる。



120922 知床開拓 娯楽

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



P5070151
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

娯楽
グラウンドでの村をあげての大運動会、学芸会、開拓地まで来た芝居、羅臼岳を越えて羅臼の映画館へ映画を見に行くこと。
7月には馬頭観音のお祭り、9月には岩尾別神社の、10月には山ノ神のお祭りがあった。
各家庭で花壇を設け花々を愛でた。小鳥やウサギなどのペットを飼った。ウサギは狩猟対象ではなかった。ウサギを食べたことはない。
岩尾別温泉は、湯治の場とするとともに、遠足や家族で楽しみに出かける場所として頻繁に利用した。



120919 書の個展 松尾由起子 第20回 

Category : 展覧会

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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ


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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

波のうねりを感じますが、続く作品を見ていくと、それは”津波”を表していることに気づく。

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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ
そっと大地に足をのせ 忘れない ここにはくらしがあったこと

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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

       畏怖といのりと
       のぼる陽に 雪ひかる
       畏怖といのりと


P9191425 (1 / 1)
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

       のしかかる 哀しみに
       おしつぶされながら みとどけなくては
       人間が求めつづけた結末を
       畏怖と いのりをもって 


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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

       時がたっても ときがたつほど
       3.11 かなしみの炎 くすぶり つづける
       命の重さ 哀しみのふかさ


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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ
海の背に 月のせて

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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

       立入禁止の その中に
       働きくらした 証がある


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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

       おしつぶされて 立ちすくみ
       ひとの心に うれしくて


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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

       線量計だけがみつける 放射線
       三度目の 被ばく
       ひきがねをひいたのは だれだ


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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

       立入禁止の その中に
       働きくらした 証がある


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OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

P9191442 (1 / 1)
OLYMPUS OM-D E-M5 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ




120917 知床開拓 学校

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



P1091490
OLYMPUS E-620 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

学校
昭和14年暮れ、「遠音別小学校岩尾別分教場」学舎が完成、昭和20年に岩尾別国民学校として独立、昭和26年に併設されたウトロ中学校も昭和29年に独立し、「岩尾別小中学校」が発足した。
校舎も、グラウンドも、校内の備品も、すべて大人たちの手作りだった。
校舎のための木材は網走から船で運び、岩尾別川の河口から陸揚げし、総出で77坪の校舎を組み上げた。
グラウンドも開墾と同様で、地中から顔を出した岩は濡れムシロを被せ、発破で岩を砕いた。黒板も塗装して作った。
皮の傍らに井戸を掘り、たびたび校舎を新築して広げ、教員宿舎や僻地集会所を建築、ブランコ、鉄棒、シーソーも作り、自らの手で少しずつ小中学校を近代化させて行った。
教科書は先輩から引き継がれるので足りていたが、野球ぼーるやバットなどの運動用具はまったく足りなかった。
昭和30年代後半には毎年60名以上の在校児童を抱えるほどになり、離農決定により昭和42年3月31日閉校まで200名を越す子供たちが巣立った。



120916 知床開拓 神社

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。


PA171184
OLYMPUS E-620 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

神社
幌別と岩尾別に神社がある。
神社は、開拓者集団の守り神として、冠婚葬祭など折々の行事を行うコミュニティーの中心をなす場所として存在した。山ノ神、安産ノ神としても祀られ、境内には馬頭観音も祀られていた。




120914 知床開拓 開拓

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。



P8260685
OLYMPUS E-620 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

開拓
水がなかった。
幌別地区では、100メートル下の幌別川まで水汲みに毎朝通った。
岩尾別地区では、知床五湖の一湖から滲み出した水を利用し簡易水道の仕組みが戦前の開拓者が作っていたのを、離れた家では3キロ近く歩いて水汲みに通った。
後に、岩尾別川の支流の盤ノ沢で良い水源を発見し、「五湖水道」を岩尾別地区に張り巡らせた。
幌別では、赤イ川の支流相ノ沢で酸性ではない透明な水源を発見し「幌別水道」となる。

電気がない。
開拓地は、山から海へまっすぐ吹き抜ける強風が直撃する土地であった。
人々はこの強風を逆手にとって各家庭に1基ずつやぐらを3階ほどの高さに組み発電機を据え付け風力発電を行った。
風力発電だけではテレビをつけるほどの電力は得られなかった。
さらに電気が必要になると、交流発電機を導入して発電した。
力道山の試合があると、発電機の燃料を持参してテレビのある家に集まって観戦したという。



120913 知床開拓 住宅

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。


P8260681
OLYMPUS E-620 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

住宅
飯場を出て家族で住める家を建てる。
最初に建てた家は、木を組み草を葺いた簡素な掘っ立て小屋だった。
原木の切り出しから土台から内装まで、すべて自分たちで建てた。

ブロックの家
ブロックを船で岩尾別川に河口に運び、どんころ車という荷車で台地の上まで運び上げた。
ブロックは鉄骨なしで組み上げたが、平積みしたので崩れにくかった。

風呂
ほとんどの家に五右衛門風呂があった。
日々の開墾という肉体労働の泥や汗を落とし身体を清潔に保つとともに、疲れを癒し、体温を保ち、血流を良くすることで健康を維持する目的があった。
馬車がやっと通れる開墾地から、診療所のあるウトロまで10キロ、ウトロから斜里まで40キロ、戦前はウトロの診療所も医者不在で、斜里に近い峰浜の診療所まで行かなければならなかった。さらに、重病人の治療には網走まで行く必要があった。
だから、人々はまず”病気にならない”ことを何より心がけたという。



120912 知床開拓 入植

Category : 知床開拓

R0015618 (1 / 1)
RICOH Caplio GX100

栂嶺レイ著
知床開拓スピリット 栂嶺レイ写真集 白艪舎

を見た。というよりは読んだ、と言った方が良い。
写真より文章の方が多く感じたからである。 以下、私の備忘録。


P8260680
OLYMPUS E-620 ZUIKO DIGITAL14-54mmF2.8-3.5Ⅱ

入植
昭和25年 戦後の国家事業として知床への開拓者募集始まる。

斜里町中心部から約15キロほどの知布泊までしかバスがない。
岩尾別開拓地へ向かうには、斜里からウトロまで
観光船をチャーターするか、
知布泊から30キロ以上山道を歩くしかない。
ウトロから開拓地までは、登山道のような馬車道しかない。
ウトロまでバスが開通したのは昭和34年
ウトロから知床五湖まで開拓地を通る道路が開通したのは昭和44年

入植募集
知床開拓地への入植は、道内や樺太からの引揚者が主で、昭和28年宮城県から入植させる国の決定で役場の職員が宮城県へ出向いて説明会を開いた。
「嫁さんだけ連れてくればいい。」
「家も家具も何でもそろっている。全部あるから何も持ってこなくていい。」
と言われ、宮城県から入植したが、列車で斜里町へ、そこから船でウトロへ、ウトロの浜から3日かけて現地へ。
「来てみたら何もなかった。家も家具も道路もなかった。」
「一緒に辿り着いた7家族は土方飯場に入って寝泊まりし、先に小屋を立てた家族から飯場を出た。」
「わしらは騙されて来たと思った。」
「それでも、帰らなかった。我慢した。頑張ろう、と残った。」



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