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180514 宮崎哲弥の時々砲弾 続 完全死刑マニュアル

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宮崎哲弥の時々砲弾

 続 完全死刑マニュアル



引き続き、日本弁護士連合会刑事弁護センター死刑弁護小委員会が作成した冊子「手引き 死刑事件の弁護のために」をあげつらう。

この”マニュアル”は死刑回避のためには、なりふり構わぬ態勢で臨むことを弁護士たちに要請する。

仮にそれがダブルスタンダードに陥っていても躊躇ためらうことはないと主張するものだ。

「手引き」は被告人への共感を醸成するような「物語(ナラティブ)」を構成せよ、と繰り返し述べている。




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例えば事実調査の段階においては「依頼人がどのような環境で育ち、どのような思考回路や価値観を身に着け、一定の刺激や事象に対していかなる反応を示すような人物となったのか、という行為者の主観的側面は、とりわけ死刑事件においては、行為の主観的側面を判断するにあたり、これと切り離すことのできない重要な要素である」とある。

後半前整理手続の情状立証に当たっては「依頼人の人生を生き生きと描き出し、裁判員・裁判官に依頼人がモンスターでないことを理解してもらうに足りる事実と証拠が必要である」と戒めている。

そして公判過程では「これらをもとに、依頼人の生い立ちから事件に至るまでの人生と事件がどのようなものであったかの物語を構成する」「死刑選択に消極的に働く事実、エピソードを物語に踏み込まなければならない。逆に積極的に働くようにみえる事実の持つ意味を減殺するような事実を組み込みことも重要である」

このように被告人の人生のストーリーを「生き生き」と語ることで、裁判員、裁判官の情緒に働き掛け、共感や理解へと誘導する戦略を強調しているのだ。




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他方「手引き」は、被害者やその遺族の公判への参加は原則拒否せよ、と教える。

「否認事件や正当防衛事件等では、参加そのものに反対すべきである」

何故なら「被害を受けた生の悲惨な状況を直接聞いた場合、心証への影響は少なからずある」からである。

「多数の被害者参加人が在廷して意見陳述等を繰り返すことによって被害感情が法廷に満ちあふれる状況となる」からである。

「被害感情が、事実上かつ証拠上、法廷に満ちあふれること、それが裁判員・裁判官をして死刑への判断へ傾かせる可能性」があるからである。




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驚くべきダブルスタンダードだ。

加害者側に関しては、その人生を生き生きと描き出し、決して共感や同情に値しない者ではないことを切々と訴える戦略を採れ、と指嗾しそうしながら、被害者側については、その「生の悲惨な状況」を公判で語らせると裁判員、裁判官の同情や共感を得てしまうので封殺しろ、と教唆するのである。

この「手引き」に対しては、去る10月19日、犯罪被害者支援弁護士フォーラムが反対の意見書を提出、公表している。

そこに「被告人の意見だけは裁判員の心証に影響を与えてよく、被害者参加人の意見の影響は限定的にすべきだというのでは理屈に合いません」との一節がみえる。

極めて真っ当な異議だろう。

また同意見書には「意見を聞く前から、一方の意見は正しくないから聞かない、他方の意見は正しいから聞くというのは、偏見に基づく裁判です」とある。




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この「偏見」とは何だろうか。

詮ずるところ、刑事裁判とは”刑罰権を独占する国家と国家によって訴追された被告人とのあいだの争いである”という古色蒼然たる構図に根ざしているように思われる。

”従って被害者や被害者遺族は刑事手続に主体的に関与すべきアクターではない”とする虚偽意識イデオロギーが、その「偏見」の本体ではないか。

法曹界に蔓延するこの”対国家イデオロギー”こそが被害者を「忘れられた人”forgotten man”」の境涯に追いやってきたのだ。

死刑は廃止されるのが望ましい。

私はそう考えている。

だが、弁護士が被害者側の悲憤や報復感情を等閑なおざりにし続ける限り、刑場が閉鎖される日は訪れない。



2015/11/26の週刊文春から






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180226 完全死刑マニュアル

Category : 宮崎哲弥の時々砲弾
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宮崎哲弥の時々砲弾

 完全死刑マニュアル


日本弁護士連合会が去る10月7日に全国各地の弁護士会に配布した”死刑回避マニュアル”を読んだ。

週刊誌では、すでに「週刊新潮」が特集で取り上げ、酷評を加えている(2015年10月29日号)。

だが通読して見て、これが「新潮」が問題視している以上に愚劣で醜悪な代物だとわかった。

正式には「手引き 死刑事件の弁護のために」という外題の、110ページから成るA4版の冊子で、作成者は「日弁連刑事弁護センター死刑弁護小委員会」と記されてある。




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この「手引き」、徹頭徹尾「裁判員・裁判官に死刑の選択を回避させる」の一点に目的が絞り込まれていて、そのために「弁護人がとるべき戦略」が縷説されているのだ。

その手段を選ばぬ指南ぶりはまさしく”マニュアル”と呼ぶに相応しい。

例えば捜査段階では、「新潮」が指摘するように「黙秘権行使が最も有効な対応」で、「被疑事実そのものに争いのない事件であっても、黙秘権の行使が原則」とある。

あまつさえ、取調官は「良心に訴える」「被害者の立場になって考えるよう説得する」などして自供を引き出そうとするが、「そのような言葉に惑わされないよう」「先回りして依頼人に説明しておくのが有効」などと書かれている。

加害者には人間的な悔悟の情など捨てさせろ、と教唆しているに等しい。




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この「手引き」で私が一番嗤ったのは、死刑相当事犯についての責任能力の評価をめぐる問題で、選りにも選って中国の事情を引き合いに出している点。

”重大事犯の場合、判決を下す側が社会防衛を意識するあまり、心神喪失時や心神耗弱時の犯行に対する刑の減免を躊躇する傾向がある”と当て推量しているのだが、日本における具体的論拠を示すことができないので、「死刑超大国」「人権状況劣悪国」として名高い中国の刑法や裁判官の所見を持ち出して論拠に代えている。

トンデモない論証だ(笑)。




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ちなみに、中国刑法では無差別大量殺人のみならず麻薬密輸にも死刑が適用される。

それらの審理において、裁判所に当たる中国の人民法院は「社会安全秩序と重罰(即死刑)を望む国民の処罰感情を考慮」して、「精神鑑定の申請を却下し」、自動的に「完全責任能力を認める」ことになっているそうな。

中国の現職裁判官はかかる刑法の規定を「責任主義に反するとは必ずしも言えないように思われる」と擁護している・・・・。




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日本の裁判官がこの見解を支持することはあり得ない。

「手引き」はあり得ない事態をあるかのように見せ掛けるために、日本とは懸け離れた体制の国の事例をしれっと引いているのだ。

このような論法が許されるなら、ハンムラビ法典だろうが、シャリーア(イスラム法)だろうが引証できる。




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責任能力に関連していま問題となっているのは、「手引き」が懸念するのとは逆の事態だ。

裁判員制度施行後、起訴前の精神鑑定が急増している。

読売新聞(2015年4月17日付朝刊)によると、検察による起訴前の鑑定留置の件数が、2014年は520件に上ったという。

裁判員制度施行前の2008年までは年間200件から250件だったのが、にわかに倍増している。

しかもこの間、刑法犯検挙件数は大幅に減少しているのである。

読売には「動機が不可解な重大事件はほぼ全部、起訴前に鑑定をしている」という地検幹部のコメントが載っている。

かつてなら1、2時間の簡易鑑定で済ませた案件でも、正式の鑑定を実施するようになった背景にはやはり裁判員制度導入がある。

「責任能力があることを裁判員に理解してもらうには、鑑定のお墨付きが必要」というのが検察側の見解だ。

裏を返せば、責任能力具備の確証が得られないケースについては「不起訴も想定」しているわけだ。

これが近年の一審死刑判決激減の一因となっている可能性も否定できない。




2015/11/19の週刊文春から



180122 転 轍 機

Category : 宮崎哲弥の時々砲弾
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宮崎哲弥の時々砲弾

  転 轍 機


「憲法には国家の自衛権が書かれていません。GHQ(連合国軍総司令部)が憲法草案を作った時、日本の再軍備阻止という考えがあったことは間違いない」
「9条1項はこのままでいいが、2項を小・中学生が読めば『自衛隊は憲法違反だ』とおもってしまう。戦争の放棄は大事な価値観として受け継いでいくべきですが、国家の自然的権利である自衛権を9条に書き込むことも大事です」




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この発言の主は安倍晋三首相ではない。

旧民主党元代表にして民進党凌雲会会長の前原誠司氏である。

色褪せた古証文のような、大昔に発された談話でもない。

2013年3月7日付けの読売新聞朝刊に掲載されたインタビューの一説だ。

前原氏は、現行憲法の原案がGHQによって、再軍備を阻む目的で起草された、という認識を顕示している。

民進党は安倍首相の「押しつけ憲法」論の撤回を執拗に求めているが、先の代表選でも蓮舫氏に次ぐ有力候補者だった前原氏のかかる見解は許容するのだろうか。

また前原氏も現在の執行部の憲法改正論議に望む姿勢を容認するのだろうか。




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前原氏はこのインタビューで、9条のみならず緊急事態条項の新設や二院制の是非、改憲要件の緩和と検討すべき”課題”を列挙したうえで、最後にこうも述べているのだ。
「明確に憲法改正に反対している共産、社民以外の政党で、先ほど申し上げたような改正メニューをどうしていくのか議論し、決着させるべきです」

「憲法は政局的なとらえ方をすべきテーマではない」

現在、憲法審査会に臨む民進党の姿勢とは著しい違いを見せている。

「押し付け憲法」論の当否はともかく、GHQや極東委員会が制定過程に深く関与したことは憲法史家、古関彰一氏の一連の著作を読めば明らかだ。

以前にも指摘したが、憲法66条2項の所謂「文民条項」は、極東委員会の中華民国政府代表の要請によって最終段階において追加された。

日本側には慮外の修正であった。

そしてダグラス・マッカーサーが直ちに要求を容れたと知るや、中華民国代表は「首相ならびに全閣僚は文民とするとの条文が憲法草案に挿入されるとの確証を得たとの書簡を最高司令官から受けとったことに満足の意を表する」と謝意を伝えたという(『日本国憲法の誕生』岩波現代文庫)。

この一事をみても、前原氏の「歴史認識」は正しいといわざるを得ない。




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大統領選の最中、それも8月15日に、アメリカ副大統領のジョー・バイデンが「核兵器を保有できないように、われわれが日本の憲法を書いたことを、彼は理解していないのではないか。学校で何をやっていたのか」とトランプの「日本核武装容認発言」を非難した。

もっとも後日、トランプ自身はこの発言をしたという事実そのものを否認しているが。

しかし、バイデンの日本国憲法観については、トランプが勝利し次期大統領に決まったいま、もう一度その含意するところをよく探察しておく必要がある。




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バイデン発言の内容は、アメリカの、とくにリベラルやウィーク・ジャパン派のあいだでは特筆に値するような認識ではない。

リベラル系の新聞や雑誌に「日本の平和憲法はアメリカ人が書いた」という表現が、なんの留保も、注釈もなしに出てくることすらある。

要するに憲法によって核保有を含む重武装を封じた代償として、日米安全保障条約における片務性を引受けている、というのが彼らの本音なのである。




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この構造は湾岸戦争以降、徐々に変容を遂げてきたが、トランプ政権の始動で急速に崩壊するだろう。

トランプが片務的防衛義務の大幅軽減や放棄を主張する限り、日本としても安全保障の前提条件が変わったことを認めざるを得ない。

私たちは好むと好まざるとに拘わらず、対米自立、自主防衛へと路線を転じることになるのだ。




2016/12/08の週刊文春58巻47号から



170910 少年事件と共同幻想

Category : 宮崎哲弥の時々砲弾
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宮崎哲弥の時々砲弾

 少年事件と共同幻想


メディアが客観的、マクロ的なデータに基づかないアドホックな感情論を垂れ流して、国民の社会認識や世論形成を著しく歪めてしまう弊については既に何度も警告してきた。

しかし一向に改まらない。

その最たるものが少年犯罪に関する報道で、相変わらず犯罪統計の巨視的動向を無視し、個別の凶悪犯の特異性を一般化して、「体感治安」をいたずらに悪化させることに”貢献”している。



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先頃(2015年9月19日)、内閣府が「少年非行に関する世論調査」報告書を発表した。

調査の実施時期は今年の7月。

前回の調査は2010年11月に施行されているから、この二つのデータを比較すると、ここ5年間の世論の変化が看て取れるわけだ。

報告書によれば「実感として、おおむね5年前と比べて、少年による重大な事件が増えていると思うか」と尋ねたところ、「増えている」と答えた者の比率が78.6%だったという。

これは「かなり増えている」と回答した割合(42.3%)と「ある程度増えている」と回答した割合(36.3%)を足し合わせた数字だ。

大多数の人々が少年による重大自販が増加していると思い做していることがわかる。



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しかも前回調査の同じ質問の回答と比べて3ポイントも増加している。

念の為に断っておくが、これはあくまで”少年凶悪犯が増えていると思っている人の数が増えている”というデータであって、少年犯罪自体が増悪していることを示すデータではない。

では、人々の”体感”ではなく、実態を概観してみよう。

今年に入って、世間の耳目を引く少年による殺人事件が相次いだ。

とくに1月27日に名古屋大学に通う19歳の女子学生が老婆殺害の容疑で逮捕された事案は、その動機として語ったと伝えられる「人を殺してみたかった」というセリフとともに良民を聳動しょうどうした。

犯行時は旧臘きゅうろうだが、一般には「今年の事件」と認知されている。

2014年には、長崎県佐世保市で当時15歳の女子高校生が同級生に突如襲い掛かり、殺害して遺体を損壊した事件が起こった。



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半年を経ないうちに少女による猟奇的殺人が相次いだため、そこに通底する”何か”を見出そうとする人の性向は、あるいは自然な反応かもしれない。

だが犯罪研究の見地からは、この二つの事案はまったく孤発的なものであり、それぞれの犯罪に共通する社会的な要因はない、といえる。

同タイプの凶悪犯罪は洋の東西を問わず一定の確率で起こっているし、日本でも大昔から繰り返されてきた(管賀江留郎『戦前の少年犯罪』築地書館)。

こういう凶行を一般予防的な社会制御によって抑止するのは極めて困難であり、とりあえず神経精神病理学や行動遺伝学などの進展を俟つ他ないだろう。



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では少年犯罪一般はどうだろうか。

警察庁生活安全局少年課が出している最新の「少年非行情勢(平成27年上半期)」によれば刑法犯少年の検挙人員は13年連続で減少している。

こういうデータを示すと必ず「少子化によって年少者の人口が減っているのだから、全体の検挙人員数が減るのは当然だ。年少人口に対する年少検挙者数の比率を見れば、むしろ増加しているはずだ」などと半畳を打つ輩がいるが、人口比の推移をみても11年連続で減少しているのだ。

凶悪犯に注目しても今年上半期の検挙人員は275人。

9年前の2006年上半期が626人で半分以下になっている。

2010年上半期でも355人だから「この5年で少年による重大な事件が増えた」という約8割の人々の”体感”はメディア等に影響された共同幻想なのである。



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世間のバイアスを匡正しようとせず、自分でデータを確かめもせず、「若者が生命の尊さを軽視するようになった」だの、「他を思いやる気持ちが失われた」だのとコメントしている「専門家」は有害無益としか言いようがない。



2015/10/15の週刊文春から







161008 戦時においても法を沈黙させてはならない

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宮崎哲弥の時々砲弾

戦時においても法を沈黙させてはならない


岡田たすく中将は1949年9月17日、巣鴨プリズンで絞首刑に処せられた。
捕虜殺害等の罪を負わされ、B級戦犯として「法務死」を遂げたのだ。
享年59歳。

「敗戦直後の世相を見るに言語道断、何も彼も悪いことは皆敗戦国が負うのか?なぜ堂々と世界環視の内に国家の正義を説き、国際情勢、民族の要求、さては戦勝国の圧迫も、また重大なる戦因なりし事を明らかにしようとしないのか?」との言葉を書き置いた。

この遺書通り、岡田は法廷において、連合国による攻撃の違法性と自分の部下たちの減刑とを訴えた。



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彼はいかなる”罪”に問われたのか。
1945年5月14日、3度目の名古屋大空襲で追撃されたB-29の搭乗員27名の処刑を命じたことが戦争犯罪に当たる、とされた。

しかし、この処断はあくまで法的審判の手続きに準じたものであり、本来ならば正規の軍律会議に付すべきところ、戦況逼迫のため略式手続きによって27名の死罪が決定された。
罪状は戦時国際法で禁じられている無差別爆撃であった。
岡田は第13方面軍司令官兼東海軍管区司令官として、かかる処決を認可した。



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大岡昇平が岡田の戦後の軌跡を追ったノンフィクション『ながい旅』(角川文庫)によれば搭乗員は「何回かの無差別爆撃の累犯ありと見なされた」と記されている。
彼らは捕虜ではなく罪人、しかも無差別殺戮の累犯者だったのだ。

第二次世界大戦末期の、アメリカによる日本やドイツに対する都市空爆は、国際人道法に照らしても、正戦の原則からも決して容認されない重罪である。
この問題は一昨年、当連載で13回にわたって詳しく論じた。
そのダイジェスト版が「文藝春秋SPECIAL」の2015年春号に載せてある。



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ざっくりいえば、非戦闘員の殺傷を必然的に伴う人口密集地に対する空爆はそもそも犯罪なのである。
都市爆撃の違法性を阻却する最低限の要件は、戦況が「最高緊急事態スプリーム・イマージェンしー」に直面していること。
即ち、もし有効な反撃がなされなかった場合、文明的価値と国民共同体がそこなわれてしまうような致命的状況においてのみ都市部への戦略爆撃は許されるのだ。

然るに、名古屋や東京への焼夷弾による大規模空襲、広島、長崎に対する原子爆弾投下はすでに連合国側の勝利が決定的になっていた時点で行われた。
もはや「最高緊急事態は過ぎ去っていた」(マイケル・ウォルツァー)にも拘わらず、だ。


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去る3月10日、墨田区の東京都慰霊堂で東京大空襲の犠牲者を供養する法要が営まれた。
70年を迎える節目の法事であり、皇族方や東京都知事とともに安倍晋三首相も出席した。
安倍氏は追悼の辞で「戦災によって命を落とされた方々の尊い犠牲の上に、我々が享受する平和と繁栄がある」と弔意を表し、「過去に対して謙虚に向き合い、悲惨な戦争の教訓を深く胸に刻みながら世界の恒久平和のために能う限り貢献する」と誓ったという。

だがそれだけでよいのだろうか。
戦後70年に際して、私たちは自らの過ちに「謙虚に向き合う」と同時に、勝者で有る連合国側の、国際条理にも人道にももとる行為を改めて剔抉てつけつしなければならないのではないか。



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岡田資中将は連合国による軍事法廷で「司令官たる自分の責任」を明言する一方で、「処刑したのは無差別爆撃をした米兵のみである」と主張した。
戦勝国が設えた裁きの庭で、戦犯の汚名を着せられながら、堂々と普遍的正義を説き、無差別爆撃の犯罪を論証した。
彼はこれを「法戦」と呼び、裁判で戦い抜くことを最後の使命として自らに課したのである。


湾岸戦争以降、空爆は先進国による”軽い戦争”遂行の常套手段となっている。
いまその合法性や道義性を厳しく問うことは、むしろ「積極的平和主義」を裏から支える喫緊の要事である。




2015/04/09の週刊文春から



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